6月16日は「和菓子の日」!あまり知られていない「和菓子の日」とは?由来&風習のご紹介

そもそも「和菓子の日」とは?何をする日?

日本には様々な記念日があります。目新しいところでは「山の日」が2016年(平成28年)1月1日施行の改正祝日法で追加されましたね。

ところで、一般的に日本の「記念日」といえば、「祝日」を連想される方も多いかもしれません。「和菓子の日」はあくまでも祝日ではなく「記念日」の位置づけとなるため、あまり認知されていない日付の記念日かもしれませんね!

ですが、実は定められた歴史は意外と古く、日本の歴史においてもれっきとした「記念日」なのです。本日はこの【和菓子の日】について、由来や風習などをご紹介していきましょう。

「和菓子の日」は毎年【6月16日】!

まず「和菓子の日」がいつなのかという点については。毎年の6月16日となります。

この日は、実際のところは単なる記念日ではなく、江戸時代に盛んになった“嘉祥 (かじょう)”という行事が由来とされています。 “嘉祥 (かじょう)”の日は、厄除けのために和菓子を食べて招福を願うという事が行われます。( “嘉祥”については、次の項でもう少し詳しくご紹介いたします )

そして、毎年この日には、東京は赤坂にある「日枝神社(ひえじんじゃ)で「山王嘉祥祭」が行われ、神前に和菓子 (煉切) を奉納するのです。

以前の記事、「みたらし団子」の名前の由来とは?おすすめの老舗和菓子屋もご 紹介! でもそうですが、和菓子と神社には何かとつながりがあるのも面白いですね!

【和菓子の日|”嘉祥 (かじょう)”】の風習とは

先の項目でも記しましたが、風習としては、【厄除けのために和菓子を食べて招福を願う】という部分がメインになります。ですが、この項ではもう少し歴史的な流れや、その時代の様子を深堀してみましょう。

「和菓子の日」の元となった”嘉祥 (かじょう)”ですが、始まりの歴史はかなり古いものになります。

西暦848年(承和15年・嘉祥元年)、当時の天皇である”仁明天皇”が6月16日に吉兆を感じたとし、16の数にちなんだ菓子を神前にお供えして、疫病除けと健康招福を祈り、「嘉祥」と改元したことが始まりです。実に1200年近く前に誕生していたという事ですね!

また鎌倉時代に入ると、時の天皇が「6月16日に通貨(嘉定通宝)16枚(16文)で菓子や食べ物を買い、それを送りあう」という風習をめでたいしきたりとした為、後世もこのことが続けられました。

その後、江戸時代になると幕府では、6月16日に大名や旗本などを大広間に集めて、菓子を一人一個ずつ取らせるという事も行われました。これを「嘉祥頂戴」といい、江戸幕府での風習として続いたとされます。

このように、今でこそ耳慣れない言葉/風習となりましたが、「嘉祥」はめでたい行事として歴史の中で引き継がれて、近代では明治時代頃までは盛んだったとされています。

つまり「和菓子の日」というのは、現代における「嘉祥」なのです!

6月16日は「和菓子の日」|和菓子を贈りあって疫病除けと健康招福を!

いかがでしょうか?そもそも「和菓子の日」を知らなかった方や、現代ではあまりなじみのない「嘉祥」 を皆様に知っていただけるきっかけになれば幸いです!

ぜひ今年の6月16日は、日ごろお世話になっている方や親しい方々に「和菓子」を贈ってみては如何でしょうか♪

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