これを知ってれば和菓子ツウ!「日本三大菓子処」編!

日本三大菓子処(にほん さんだい かしどころ)」とは?

今回は、和菓子の歴史を知る上でも欠かせない「日本三大菓子処(にほん さんだい かしどころ)」についてのご紹介です。

以前掲載した記事、こちらでも多少触れています。

さて今回は、菓子そのものではなく、各地が「日本三大菓子処」とされるようになった所以を中心にご紹介。この記事を通して、和菓子の歴史をより深く知っていただければ幸いです。

まず、「三大菓子処」というのですから、正しく三つの県(地域)がこれに該当します。

ぞれぞれ【京都】【石川県の”金沢市”】【島根県の”松江市”】となります。

ちなみに、「三大菓子処」とされる理由/基準ですが、もちろん歴史的背景も重要な基準の1つですが、おおまかにいえば【人口あたりの和菓子屋の数の上位3つの地域】となります。

地域の人口に対して和菓子屋が多いという事は、基本的には歴史背景にも基づくもので、当時の権力者によって茶湯の文化とともに和菓子も発展するなどの起因があります。

それではそれぞれご紹介していきましょう!

三大和菓子処|京都

芸能や歴史、食も含めて様々な文化が存在する、日本屈指の都、京都。京都は、人口あたりの和菓子店の数が日本で1番多い県という事はご存知でしょうか?

そういった点からも、やはり和菓子の歴史は古く、日本で最古の団子屋である「一和」があります。実に、創業はなんと長保2年(西暦1000年)。1000年前の和菓子を堪能できるのは京都ならではと言えるでしょう。

また京都は、鎌倉時代以降、喫茶文化の流行とともに、上流階級の貴族に献上する特別な和菓子の製造が盛んになりました。

これらの献上高級和菓子は、味はもちろん見た目など意匠にもこだわり抜かれ、そういった菓子を徐々に「京菓子」と呼ぶようになります。
そして、江戸時代以降になると一般層の人たちにも和菓子が普及し、あの有名な京都土産の代表ともいえる「八つ橋」が生まれました。今ではさまざまなバリエーションは季節のフレーバーも楽しめる「八つ橋」は、ほとんどの方がご存知ではないでしょうか!

三大和菓子処|石川県 金沢市

金沢は古くから茶の湯文化が栄えた土地で、そのため和菓子づくりがさかんになったといわれます。

歴史を紐解きますと、当時の金沢地域に存在していた「加賀藩」の初代藩主である前田利家が関係してきます。前田利家といえば武将としても有名でありますが、実は、お茶で有名な千利休の弟子でもあります。

喫茶文化の流行とともに、加賀藩でも茶道が盛んにおこなわれるようになると同時に、和菓子文化も発展することとなったのです。
1600年代には、3代目藩主の「前田利常」の命により日本三大銘菓の1つである「長生殿」が生まれます。

長生殿

金沢の和菓子は、お茶の席に合うように季節感を表しているものや、華やかな見た目のものが多いのも特徴と言えますね。「五色生菓子」などが代表的な例ですね。【 五色生菓子:参考サイト

三大和菓子処|島根県 松江市

京都や金沢と並んで「三大菓子処」に数えられるのは、島根県松江市です。 島根県の県庁所在地でもある「松江」には松江城があり、城下町の街並みを今なお色濃く残します。

この地は、江戸時代には「松江藩」が存在していましたが、ここで7代藩主であった【松平治郷(まつだいらはるさと)】が、後に松江が三大菓子処とされるようになったことと大きく関係してきます。

松平は、藩主であると同時に「不昧公(ふまいこう)」と呼ばれる茶人でもありました。先ほどの「前田利家」とも似た経歴ですね!その為、松江に茶の湯文化を広めた第一人者とされています。”不昧流”という茶道を完成させた人物でもあり、松江と和菓子の関係はますます深くなっていったといわれています。ちなみに、当時の茶会で使われた和菓子は「不昧公好み」と呼ばれて、現代にも受け継がれています。

“桂目堂本店”様のWEBページより引用|引用元url:https://www.keigetsudo.jp/line-up/wagashi2/

「不昧公好み」の銘菓をご紹介する”桂目堂本店”様のWEBサイトはこちら https://www.keigetsudo.jp/line-up/wagashi2/

日本三大菓子処|まとめ

如何でしょうか。本記事では、日本三大菓子処について、それぞれの歴史背景や代表的な菓子も僅かですがご紹介いたしました。

何れの地域についてもですが、和菓子の文化はもちろん、美しい街並みや深い歴史や史実になぞらえた食、建築、風景があります。ぜひこの記事を通して、より深く和菓子の歴史に触れて頂くと共に、各地の文化にも触れて頂けるきっかけになれば幸いです。

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