日本の偉人も愛した「ポルトガル伝来」の和菓子|和菓子とポルトガルの深い関係とは!?

ポルトガル|首都リスボンの街並み

ポルトガル|日本の食と深いかかわりのある国

日本の伝統的菓子である「和菓子」。実はそのルーツに「日本以外からもたらされたものも多数ある」というのは、以前よりいくつかご紹介してきました。

さて、和菓子はこのように、その出自は国外であり、国内に伝わって日本独自の工夫や素材使いにより変化し、今に伝わっているものが多くあります。

菓子に限らず「和食」でもこのことは言えます。例えば皆様がよくご存じの【天ぷら(テンプラ)】。じつはこの天ぷらのルーツも、今回のテーマである「ポルトガル」から伝わったものです。「天ぷら」は、大航海時代にポルトガル人によって日本にもたらされたと言われています。

それまでの日本にはなかった【食べ物を油で揚げる】食文化はポルトガルより日本に伝わり、定着したと考えられています。ちなみにポルトガルでは、復活祭の前に「肉を食べない期間」がありますが、その際に様々な野菜を油で揚げて食べていました。これが日本に伝わり、今はお馴染み「天ぷら」になったと考えられているのです。尚、ポルトガルで食材を揚げる際に使うのは”オリーブオイル”なので、イメージする日本の天ぷらとは食感や風味は異なります。

少し前置きが長くなりましたが、ここからは【ポルトガル出身】の和の菓子をご紹介していきましょう!

ポルトガル出身の和菓子|カステラ

これは以前の記事にもありますが、やはり有名な菓子といえば「カステラ」は外せません。

「河内風土菓 かすてら」
「河内風土菓 かすてら」

名前からしてハイカラな「カステラ」は、そのルーツが海外というのは容易に想像できますよね。当時のジャンルとしては、いわゆる【南蛮菓子】というタイプですね!

そのルーツはポルトガルやスペインから来た南蛮菓子が由来とされています。「カスティーリャ地方」から来たため「カステラ」という名前になったという説が有力とされます。そのカスティーリャ地方から伝来した菓子は、「小麦・卵・砂糖」で作った焼き菓子であるとされています。

過去記事:「これって和菓子??」ジャンル分けが難しい和の菓子「カステラ」編 より https://shiroan.jp/blog/what_is_castella/

ポルトガル出身の和菓子|金平糖(コンペイトウ)

金平糖は、1500年代の戦国時代にポルトガルから伝来しました。当時の南蛮貿易では実に様々な品々や情報が日本に入ってきましたが、菓子において「金平糖」はひときわ美しく、当時の人々の目を引いたお菓子だったそうです。

時の偉人であるあの「織田信長」は、金平糖を宣教師から贈られ、その形と味に非常に驚いたとされています。金平糖は当時とても珍しいもので、公家や高い位の武士しか口にすることが出来ない貴重な品とされていました。その為、一般には製造法はいっさい秘密となっており、限られた人のみが食すことができる菓子だったのです。

ちなみに「金平糖」の名前の由来は、ポルトガルの原型となった菓子にあります。その菓子の名前は「コンフェイト(confeito)」といい、これが日本では「コンペイトウ」となりました。

ポルトガル出身の和菓子|丸房露(マルボウロ)

「ぼうろ」をご存知でしょうか?卵をもちいた丸形のかわいらしい見た目なあのお菓子ですが、とても日本発祥のような雰囲気の名前ながら、これもポルトガルにルーツを持っています。

鶴屋 佐賀本店
鶴屋 佐賀本店

丸房露 (まるぼうろ)は、佐賀県佐賀市を代表する銘菓の一つです。ちなみに漢字での表記は一つだけではなく、「丸芳露」「丸房露」とされる場合もあります。また、2020年に「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」の構成文化財として、実は日本遺産にも認定されています。(関連記事:佐賀の偉人も愛したハイカラ菓子 鶴屋の「丸房露」

丸ぼうろの起源には諸説あり、実のところ決定的なルーツははっきりしていません。ただ一つ確実なのはポルトガル伝来である、という事です。

名前の由来については、【丸い形をした”ボーロ(葡: bolo←ポルトガルを示す)”】という言葉から「マルボーロ」となり、今の「丸ぼうろ」になったという説や、ヴェネツィアの商人で、東方見聞録に日本を紹介した事で有名な、あの「マルコ・ポーロ」が語源となっている、などの説があります。一般的には他の南蛮菓子と同じく、現地の言葉を日本語として発音したものという説が強いとされています。

和菓子とポルトガルの深い関係

如何でしょうか。今回はポルトガル由来の和菓子の歴史と紹介を中心にお届けしました。

南蛮貿易といえば、日本が積極的に海外の物品を輸入し、それに伴い様々な文化に触れ、日本の歴史上とても重要な出来事です。この貿易では、鉄砲・火薬・生糸・皮革などを輸入し、日本は刀剣や漆器などを輸出しました。

この貿易の主な取引先(国)はポルトガルが中心であり、1540年代より約1世紀にわたって続けられることとなります。その後日本が鎖国を行ったことでこの貿易は途絶えるのですが、それまでの間にもたらされた多数の品々の中に【和菓子のルーツ】もあったという事がお分かり頂けたことと思います。

今回ご紹介した和菓子は、「カステラ」「コンペイトウ」「丸房露」の三つですが、まだまだ他にもあります!ぜひ当サイト「しろあん」の他記事もあわせてご覧くださいませ。

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